しまねスマイル 〜“素敵”に“自分らしく”そして“笑顔”で生活を送る島根の「笑顔の種(人)」を紹介します 〜
浜田真理子さん
私の笑顔の種は好奇心と絆です
学生時代から音楽活動を開始。‘98年暮れ1stアルバム『mariko』をリリース。 わすか500枚のプレスが東京の一部のマスコミに取り上げられ、‘01年に再プレスされるまで音楽ファンの間で伝説化する。 再プレス後の‘02年にマネージメント事務所兼レーベル「美音堂」を設立。以降、ライブ活動を年間6本のペースで始める。 ‘03年に、映画『ヴァイブレータ』の挿入歌に「あなたへ」が使用され話題になった他、‘04にはドキュメンタリーTV番組「情熱大陸」に出演し大反響を呼ぶ。 その後も、AC公共広告機構「国境なき医師団」キャンペーンCM音楽、島根県を舞台にした映画「うん、何?」のサウンドトラックもてがけるなど活動の幅を広げる。 '05年以降は東京以外の都市でもホール・コンサートを開始し各地で絶賛される。島根県出雲市出身で現在も松江市在住。1964年生まれの44歳。
音楽とふるさと島根
 聴く人の原風景を呼び覚ますような、情感あふれる歌と楽曲で多くのファンを魅了し、その人気が全国区になった今でも、生まれ育った島根県(松江市)を中心に活動を続ける、音楽家(アーティスト)・浜田真理子さん。
 楽曲を発表するたび、ライブを行うたび、メディアで取り上げられるたび、聞こえてくる賞賛や評価に煽られることなく、松江に腰を落ち着けたマイペースな音楽活動をすることで「島根にこだわるアーティスト」と称されることも多い。
 彼女にとっての“島根”と“音楽”とは、どんな意味を持つのだろうか。
浜田真理子スタイルができるまで
 スナックを営む父親の影響で、店のジュークボックスで古い歌謡曲を手当たり次第に聴くような、当時からすればかなり早熟な子供だった浜田さん。
 当たり前のように、生活と音楽が密着していたこともあり、以降はとくにそれを意識することもなく、高校生までは、もっぱらスポーツに汗を流す活発な青春時代を過ごす。
 音楽を意識するのは大学に進学してから。しかし、当時はまだ趣味の延長で、持ち前の歌唱力やピアノ演奏力もあり、弾き語りやディナーショーの伴奏などで多くの声が掛かり、それをアルバイトのようにこなす日々…。それでも、はじめてできた音楽仲間たちに刺激を受け、音楽が本当に面白くなってきた時期でもあった。
 プロを目指す多くの人間と同じように、一時は上京も考えたが、家庭の都合などで断念。音楽への思いを持て余しつつも、相も変わらぬ活動を続ける。
 「状況に焦りは感じませんでしたが、私の目指すゴールはどこ?っていう不安はありました。だから、音楽への情熱を持続させるのが大変で…。でも、そのうちに、「自分が外に出られないのなら、松江に来てもらえるようなミュージシャンになってやる!」って思うことにしたんです」。ちょうどそのころ、結婚と出産という女性にとっての一大事も経験するが、もともと自然に音楽と向き合ってきた彼女にとって、家庭と子育てが音楽の妨げになることはなかった。
 こうしたさまざまな葛藤が糧となり、今に繋がるマイペースな活動スタイルが確立していったようだ。


  「ミュージシャンズ・ミュージシャン」と呼ばれるほど
  音楽家からの支持も厚い。即興性に富んだライブは
  そんな彼女の真骨頂。


かつては私もそうでしたが、(田舎に)何にもないことを貧乏自慢みたいに数えていないで、今の環境が素晴らしいと思えるような、自分なりの楽しさを見つけて欲しいですね。
私の場合は、県外でライブをやるようになって、それが見えてきました。実は今、神社に凝ってるんですよ(笑)島根って、面白い由来のある神社がたくさんあるんですね!
そんなふうに、以前島根にいた人も、島根に興味を持っている人も、こっちに来れば、必ず何かが見つけられると思います。やっぱりいい所ですよ、島根県は!
「mariko」から個人事務所設立へ
 そして平成10年、音楽仲間の支援で制作した初アルバム「mariko」を発表。その完成度の高さが口コミで広がり、当時の地方自主制作CDとしては破格の評価を得る。
 制作するまでは、「音楽って、演奏したらそれまで…と思ってたから、作品(CD)として残す必然を感じていなかった」と消極的だったが、「でも、これで私の音楽を遠くの人まで届けることができる!と思い直してから心境が変化しました。自分も地方の人間だから、遠くで応援してくれる方々の気持ちがよく分かったんです」。
 迷いもあった初めての作品づくりが、むしろ“島根にいること”を意識することになり、「日本全国に自分の音楽を届けたい」という目標が生まれる。
 こうして紆余曲折ののちに再販されたCDをきっかけに、“浜田真理子”の名前が音楽業界で話題となる。大手レコード会社からの誘いも、「なんかね「たいぎ(面倒くさい)」って思った(笑)まだ子供も小さかったし、仕事もしていたし、いろいろ制約ができるのも嫌だったし、このままで良いや!って」と当の本人は何処吹く風。しかし、その再発売が、善きスタッフとの出会いと、個人事務所設立という転機となり、現在の活動へと繋がっていく。
共生する音楽家と応援団
 その後の活躍は、プロフィールにもあるとおり、映画音楽を皮切りに、CM音楽、全国展開のコンサート、著名アーティストとのコラボレーション等、地方を拠点とするアーティストとしては、異例の広がりを見せている。
 「今の私があるのも、「真理子さんはそのままでいい」と仕事を切り盛りしてくれるスタッフのおかげ。それに、私の音楽が好きだからと、ライブの時など率先して手伝ってくれる、たくさんの応援団がいてくれるんです。そんな人たちに囲まれていると、マイペースとかいってられなくなって、つい頑張ってしまうんですよね」と嬉しそう。
 真ん中にあるのは、時代に流されない“浜田真理子の音楽”という強い絆。そこには、よくあるアーティストとファンの関係というのではなく、あたかも”共生”のような関係が成り立っているようだ。
 「縁(絆)はやっぱり大切!それに、興味をもった人とどんどん仲良くなって、その人の持っている面白い部分を吸収しちゃう。私の音楽には好奇心が欠かせないんです」。
浜田真理子と島根
 音楽を続ける力の源に、絆と好奇心があれば、活動の場がどこであろうと関係ないという浜田さん。
 「だから、島根にこだわる…というのはちょっと違うんです。こだわらないから島根にいるというか…。ありきたりな言葉だけど、私はただ、いい音楽をやりたいだけなんです」。
 自然体でいられる島根だからこそ、ありのままの音楽が奏でられる…。それが唯一無二の“浜田真理子”を支える大きな理由のようだ。


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