おかえりなさい!! - 私はこうやって島根へのU・Iターンを実現しました

家族と共に闘病生活を乗り切りUターン兄弟が力をあわせて、玉造の町おこしにかける

プロフィール

角 和幸さん
  • 年齢/40歳
  • 出身地/松江市
  • 現在の住まい/松江市
  • 現在の仕事
    とんぼ玉工房いちの家の企画・販売
 

突然のガン宣告闘病生活での苦悩

 出雲国風土記にも記載され、日本最古の温泉として知られる「玉造温泉」。その温泉街の一角に、最近女性を中心に人気を集めるスポットがある。「とんぼ玉工房・いちの家」。山陰では珍しい「とんぼ玉」の制作工房で、松江や出雲を中心に県内外から多くの人が訪れている。
 この工房を開いたのが角和幸さんだ。ガンを患い、苦しい闘病生活の結果、奇跡的に回復を遂げ、家族と共にスローライフを楽しもうと故郷である松江にUターンした。

 角さんがガン宣告を受けたのは3年前である。広島にある建設会社に勤務していた角さんは、ひどい腰痛に悩んでいた。その治療に訪れた際、偶然ガンが見つかった。進行性の精巣ガンだった。すでに腹部やリンパ節に転移していた。
「当時の正直な気持ちは『どうして、自分がガンになるんだ?』という怒りとも、絶望ともつかない、複雑な気持ちでしたね。「もう手の施しようがない」と告げられ、自宅療養になりました。でも、自宅療養でがんの進行を示す数値が正常に戻ったんです。自分でも不思議でしたね」
 その後一度は建設会社に復帰したものの、体力を使う仕事は難しいため、その後の身の振り方に悩んだ。そして、もっとゆっくり生きよう、故郷の松江で第2の人生をスタートしよう、と心に決めた。奥さんの喜和子さんも賛成してくれた。

沖縄で出会った「とんぼ玉」が第二の人生を決定する

 長年仕事一筋で生きてきた角さんは、退職を機に家族で沖縄旅行に出かけた。そこで初めて「とんぼ玉」に出会う。
 最初は妻が体験制作に出かけたんですが、簡単にできて、とてもきれいだなぁと思ったのが印象的でした。でもその時は、まさか自分の仕事になるとは思ってませんでした」

 具体的な就職先を決めないまま、松江に戻った角さん。まずは、地元の観光協会に勤める弟・瀬戸川幸治さんに相談を持ちかけた。玉造温泉のまちづくりに取り組んでいた幸治さんから「温泉街で店を出してほしい」との提案を受ける。近年、観光客も落ち込み、活性化が叫ばれる温泉街に、新しいスポットを誕生させたいというのである。 

  1. 可愛い息子さんと一緒に。
  2. 色とりどりのとんぼ玉
  3. ガラスを溶かしてとんぼ玉に模様をつけていく。

「その時に思い浮かんだのが「とんぼ玉」だったんですよね。初心者でも比較的簡単に作れて、街歩きの途中にも立ち寄れることなど、いろいろな条件を考慮した上で、「とんぼ玉」の工房を作ろうと決心しました」

兄弟が力を合わせてとんぼ玉を町の新しいシンボルに

 工房をオープンするにあたり、角さんはもうひとりの弟の賢二さんに声をかけた。銀細工の経験があった賢ニさんが技術担当、そして角さんが経営担当として、兄弟二人三脚で工房を運営している。もちろん、観光協会の幸治さんもサポートを欠かさない。
「とんぼ玉」は人間の手で作り出す宝石です。自分のイメージ一つで、無限の表現が可能なんですよ。作ってみるとその面白さが分かっていただけると思います」
 角さんがそう語るように、「とんぼ玉」制作の楽しさは口コミで広がり、今ではちょっとした話題のスポットとなった。繰り返し足を運ぶリピーターも多く、登録の会員数も200人を超えた。

「工房に掲げている「人生は大いなる暇つぶし」と言うのが僕の今の心境です。まず自分が楽しむ。そしてそれが、たくさんの人たちとの交流や、地域の発展に結びついたら嬉しいですね」
 命の大切さを体験した角さんだからこそ、お客さまの気持ちや地域の発展を思いやる心は人一倍なのである。

角さんの今に至るまで

東広島市内の建設会社勤務時代に、進行性のガンが見つかる。
一度は死を宣告されたが、自宅での闘病生活の結果、奇跡的に回復する。
退職を機に出かけた沖縄旅行で「とんぼ玉」と出会う。
松江にUターン後、観光協会に勤める弟・瀬戸川幸治さんより、玉造で店を出す提案を受ける。
2008年7月「とんぼ玉工房いちの家」をオープン。