おかえりなさい!! - 私はこうやって島根へのU・Iターンを実現しました

外から来た自分にはよく分かる“海士の温かさ”を発信して、人が集う場をつくりたい

プロフィール

鈴木桃子さん
  • 年齢/28歳
  • 出身地/東京都港区
  • 現在の住まい/隠岐郡海士町
  • 現在の仕事
    海士町観光協会で観光PR活動やイベントを企画
 

都会とも、工業都市とも異なる離島の幸せと苦しさ

 海士町の玄関口「菱浦港」に降り立つとすぐに、「海士町観光協会」がある。素敵な笑顔で観光客を出迎えてくれるのが、鈴木桃子さんだ。昨年Iターンで海士町に移住し、観光協会で主に観光に関わる情報発信や旅行・イベントの企画などを行っている。

 鈴木さんは東京生まれの東京育ち。そんな鈴木さんが海士を知ったのは、ある交流事業がきっかけだった。
「以前から海士町が、東京の「一橋大学」と交流事業を行っていたんです。その事業に主人をはじめ親しい友人が多く関わっていました。それで海士町ってどんなところだろう?と強く興味を惹かれ、2年前に初めて海士町を訪れました」

 当時、大手自動車メーカーに勤務していた。鈴木さんは、東京のような都会とも、勤め先の工業都市とも異なる離島での暮らしが鮮烈に印象に残ったという。
「仕事はやりがいがありました。でも、どんな社会に向かってみんなが頑張っているのか、いまいち見えなかったんです。過労で倒れる人を横目で見ながら、これって幸せなのかな?と自問していました。一方で、海士町には何もないように見えながら、島を守ろうと前向きにがんばっている人がたくさんいた。」それまで知らなかった世界が、そこにあったように感じたそうだ。『時代の流れに左右されず自分たち本来の文化・産業・アイデンティティをはっきり明るく主張する、貫こうとする、その生き方が魅力的でした』

最初は、やるべきこともできることも分からなかった

 2006年12月にご主人が隠岐へ転職・移住。鈴木さんは2007年の8月に移住し、入籍した。
『仕事は、どうしても欲しかった。生活のためというより、知らない土地で、人との関わりを持つためには、私にとっては職場が必要だったんです。ただ、若い人が少ないと言っても雇用機会だって多くはない。しっかりと働くためには、志が必要です。』なぜここで暮らしたいと思ったのか、自分には何ができるのか、時間をかけて繰り返し考えたそうだ。

  1. イベント参加者と共に記念撮影。
  2. イベント中に制作した品々。個性で可愛らしいものばかり。
  3. 「ママのがっこう」の参加者のお子さんと一緒に制作に取り組む鈴木さん。

 その間、地元の人からもたくさんのヒントをもらった。地元の人たちと話すうち、ここでの暮らしに惹かれた理由がだんだん分かってきたそうだ。同時に、前職での経験を活かせる道も、見えてきた気がした。『ここで暮らす以上、島の役に立ちたいのですが、肩の力を抜いて、自分にできそうなことからどんどんやっていけばいいかな、と思えるようになりました。』

移住後1年間の思いから企画が生まれる

 取材に訪れた日、鈴木さんは旅行企画の真っ最中だった。『ママのがっこう』。自然の中での育児や、スローライフに興味がある島外のお母さんたちに、海士の暮らしの良さを知ってもらおうというものだ。この企画には、鈴木さんが移住して来てから1年の感動や気づきが込められている。
「両親には移住を反対されていたので、頼れる人がいないまま、島の暮らしを始めましたが、地元のお母さんたちに本当に助けていただいたんです。そこで『海士のお母さんたちの素晴らしさを伝えたい』という思いが、今回の企画になりました」

 この旅行では島のお母さんたちを講師に招き、料理を学んだり一緒に手芸をしたり、保育園や福祉施設で島の人たちと交流をしたりと内容は盛りだくさんだ。参加者の合間を忙しく走り回りながら、鈴木さんの顔には充実した笑顔が絶えない。
「海士には『何もない』ように見えるけど、何かを生み出すスペースや生み出したい気持ちに溢れているところ。その根底には『人の生きる力』みたいなものを感じます。ここで暮らしているとワクワクしてきて、自分も大家族をつくりたいなぁと思えます」と、爽やかな笑顔で語ってくれた。

鈴木さんの今に至るまで

海士町と一橋大学との交流イベントで、海士町を訪れる。
ご主人が海士町への転職を決意。一緒に移住することに。
移住先での仕事を探す過程で、『自分には何ができるか』『何がしたいのか』自問自答を繰り返す。地元の人とのふれあいの中で、おぼろげながら形が見えはじめる。
海士町観光協会に就職。観光PR活動やイベント企画などを行う。