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ペルー共和国リマから
出雲市大社町に
Uターン
板垣典行さん(42歳)
 
personal data
<職場>出雲市大社町『板垣美容院』
<仕事>家業を手伝いながら、
    さまざまな町づくり活動に参加中
 出雲大社のお膝元にある家業の美容室を手伝う板垣典行さんは、ペルーの首都リマで13年間に渡り、料理人生活を送っていたというユニークな経歴の持ち主。中学生の頃から、「欧米のような完成された国や文化にはない魅力を感じた」と南米に興味を抱いた板垣さん。大学ではスペイン語を専攻し、いよいよ南米大陸の足がかりとしてメキシコへ飛び立つ。
 現地で知り合った日系人に、ペルーでのバックパッカーたちの有名な溜まり場『西海ペンション』を紹介されたことで、メキシコからペルーへ渡る。「ペンションには代々管理人制度があって、1年以上管理人として暮らしていたんです。こんなに長く滞在する予定はなかったんですけどね」と笑う。しかしこの長いペンション生活が、現地日系人社会との関係を育むことになる。「ペンションのオーナーを介して、ペルーの首都リマのシェラトンホテルにある日本料理店に誘われたんです」。
 もちろん料理人未経験だったが、板前修業も働きながらという南米らしいおおらかさ。日本企業のビジネスマンや現地の富裕層相手に、寿司を握り、魚をさばく日々…。当時は国内のゲリラ活動が盛んな時期で、「爆弾騒ぎなんか日常茶飯事」という異常な毎日。しかし90年にフジモリ政権になったことで情勢も落ち着き始めた頃、板垣さんに独立の話が持ち上がる。
 シェラトン時代に知り合ったせいかさんとの結婚もきっかけになり、95年、リマ市内に日本料理店『だんだん』を開店。しかし2000年にフジモリ政権が倒れ、日本人社会への風当たりが強くなったことや、その間に生まれた長男の教育などを考え、5年間経営した店を譲り、04年に帰国する。

『だんだん』開店当時の店内。日系の常連客などを中心に評判を得る。シェラトン時代には、フジモリ大統領(当時)に2度も寿司を握った経験もあり。
 情勢不安定とはいえ、ラテンのパワーに満ちたペルーから出雲市大社町へのUターン。板垣さんは家業の他に町づくりグループ活動を行ったり、せいかさんはペルーの民芸品店を経営したりと、有り余るエネルギーを発散する毎日。そして、「いずれ料理店を始めたい」という夢をもつ板垣さん。南米の味を活かした面白い店が期待できそうだ。
 
憧れの南米に旅立つ
▼昭和62年 23歳
小学校時代のカナダ旅行を機に、海外へ興味を持つ。次第に南米への興味へ移行していくなか、大学で語学を学び、一路メキシコへ飛ぶ。
日本料理店をオープン
▼平成7年 31歳
シェラトンホテルの日本料理店に5年勤めた後、リマの住宅街に『だんだん』をオープン。メニューの中心は、シェラトン時代と同じく、人気のにぎり寿司。現地では、店名の由来を頻繁に聞かれたという。
大社町にUターン
▼平成15年 38歳
長年過ごしたペルーとのカルチャーギャップに戸惑いながらも、家業を手伝いながらマイペースに日本での生活習慣を取り戻していく。
現在
▼平成19年 42歳
婚礼着付けのサービスの一環として写真撮影も始める。また、地元の神事にのっとった町づくり活動「神迎えの道」などの世話役も務める。
   
生活に危険を感じなくなったことでしょうか(笑)。何だかんだ言っても日本は平和ですよ! それに学生時代からの友人も地元にたくさんいてくれて、やはり故郷は良いものだと実感しましたね。
 
   
料理店をやりたいという夢はあるんですが、まずは家業を盛り立てていくことが第一です。最近はホームページの強化や、写真撮影などのサービス業務も始めたりと、やることはたくさんあります。
 
BeanS topバックナンバーVol.23 》UIターンの先輩たち