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「島根をより活性化したい。」
「島根の伝統を守り続けたい。」
様々な人のそんな思いが、島根を少しずつ動かしています。
「動き=風」
島根に風を起こしている活動・人物を紹介します。
今回の紹介は □■□ NPO法人あしぶえ □■□

 劇団「あしぶえ」。創立者である園山土筆(つくし)を代表として、卒業後に高校の演劇同好会のメンバーが集まり発足。以来、40年間にわたり、不屈の精神で山陰の演劇文化を育て、支えてきた劇団である。現在は、国内外における多くの演劇賞受賞や、ホームである八雲町に、海外の劇団を招いて開催する国際演劇祭などの地域文化貢献でも知られるが、昭和41年という日本の高度成長期真っ只中に、地方で演劇を興し、運営していくという困難さを全身で受け止めてきた園山代表にとって、この40年はおよそ順風満帆とは言い難い道のりだった。
 「あしぶえ」の歴史は、すなわち“逆風の歴史”でもある。20歳という若さでありながら、最年長の園山代表を中心にたった5人で発足してから3年目、旗揚げ公演の準備中に忘れられない事件が起こる。「お前らのようなものが来るんじゃない」と塩をまかれたのだ。パンフレットの掲載広告で公演費用を捻出しようと、ある商店を訪問したときの出来事だった。世間から色眼鏡で見られる演劇の現状に衝撃を受けるが、同時に「理解してもらうためには、暮らしの中に演劇を溶け込ませなければ」とその悔しさを原動力に変えていった。その後も、園山代表の広島転居や、転々とする稽古場の確保、またメッセージ性の強い芝居上演に圧力がかかるなど、大小幾多の障害を辛くも乗り越えて来るが、創立16年目にして、劇団員がわずか5名になるという存続の危機が襲う。一向に良くならない地方演劇を取り巻く状況、それに伴うモチベーションの低下など、さまざまな要因が重なった果ての出来事だった。
 園山代表は「この時、自分たちから行動しなければ何も始まらないことを思い知った」と反省し、情熱だけで運営してきたそれまでの劇団体質を一新。各地から演劇のプロを招き、芝居から美術に至るまで基礎から鍛え直すことで、より芸術性の高い劇団へと成長していく。

  松江市砂子町に事務所を構えた昭和60年頃から事態は好転する。大成功をおさめた広島公演の収益を元手に事務所を劇場に改装。「あしぶえ50人劇場」と名付けたそれは、浮き草人生を続けてきた劇団にとって、基盤を持つという夢の実現でもあった。この劇場が出来上がったこともあり、加入脱退の繰り返しだった団員数も20余名が定着し、芝居レベルも向上。それを顕著に物語ったのが、平成元年に敢行した「セロ弾きのゴーシュ」の年間46回という前代未聞のロングラン上演だった。このアマチュア演劇史上初の快挙は、メディアから絶賛され、知名度とともに劇団の気運も一気に上昇する。こうした紆余曲折が劇団の血肉となり、芝居から運営に至る「あしぶえ」のすべてを強固なものにしていった。
「2003世界演劇会議フェスティバル」にて「視覚的舞台表現最優秀賞」を受賞。言葉と文化の違いを越えて、どこの国の人が観ても良く分かる作品に贈られる栄誉ある賞。

「島根に興味があるなら、ぜひ活気溢れる『しいの実シアター』を訪ねて欲しい」と語る園山代表。
 そして平成7年、八雲村(現松江市八雲町)に待望の新劇場「しいの実シアターが」落成した。この劇場は、支援金を寄せてくれた全国のファンや、活動に共鳴し、最高の環境を提供してくれた八雲村など、劇団を応援するすべての人々とともに完成させた、夢の結晶である。また前年には米ウィスコンシン州で開催された「第2回アメリカ国際演劇祭」に日本代表として出場。種々のトラブルが発生する劣悪状況のなか、最高賞という栄誉に浴し、シアターの完成に華を添えた。
 40周年の節目を迎えた「あしぶえ」。地域住民・行政とタッグを組む「八雲国際演劇祭」主催のほか、コミュニケーション能力育成講座、表現授業など、“演劇”と“教育”を結ぶ活動で、演劇を軸にその特性を活かしたNPO 団体として歩み出した。苦節の末にたどり着いた八雲の地は、芝居の枠を超えた無限の可能性をも示してくれたようだ。
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