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「島根をより活性化したい。」
「島根の伝統を守り続けたい。」
様々な人のそんな思いが、島根を少しずつ動かしています。
「動き=風」
島根に風を起こしている活動・人物を紹介します。
今回の紹介は □■□ 柴田久美子さん □■□
 隠岐島前知夫里島。人口800人に満たないこの島に、看取りの家『なごみの里』を設立した柴田久美子さん。看取りの家とは、高齢者に在宅で最期のときを迎えさせてあげたいという、柴田さんの思いを形にした、介護しながらお年寄りの最期を看取る、全国でも類を見ない看取りの家である。
 出雲市出身の柴田さん。専門学校卒業後、大阪で大手ファーストフード会社に入社、大きな業績を上げるが、「必死に頑張って、振り返ったとき何も残ってなかった」と虚無感に襲われ、失意のまま退社。経験を活かそうと飲食店経営に乗り出すも失敗。失うものが何も無くなった柴田さん。このとき、以前からの夢であった高齢者介護の世界に入ることを決意する。
 根っからのお年寄り好きだったこともあり、我が意を得たように介護施設で働くなか、そこに暮らす高齢者たちが、次々と病院に運ばれて最期を迎える実情を目の当たりにしたとき、在宅で息を引き取った実父のことを思いだした。「最期に私の手を取って『ありがとう』って言ってくれたことが忘れられなくて…」。その思い出を使命として受け止め、実父のような“本人が望む死に方”を尊重した、在宅看護の仕事を模索し始める。

4冊刊行されている柴田さんの著書。この本で感銘を受け『なごみの里』へやって来たスタッフも多い。
 知夫村の在宅死亡率は75%と高い。その事も知夫村へ来るきっかけとなった柴田さん。在宅死を支えるために、早速ヘルパーとして働き出すが、「在宅死亡率が高いこの島でも、やはり最期は本土の病院という場合が多かった」と他県での現実が知夫村にも起きていることを思い知り、いよいよ『なごみの里』開設に向けて行動を開始する。
 まずは集会所を買い取り改装。スタッフも柴田さんの思いに共鳴した心強い仲間がやって来た。しかし村全体に、すぐに受け入れられた訳ではなかった。何とか理解を得ようと、ビラ配りなどの宣伝活動をするが、島外者である柴田さんの試みが、島の人になかなか受け入れられない。開所して数ヶ月後にようやくやって来た利用者も、隣の海士町からという状況で、「私は必要とされていないのか?間違っているのか?」と悩む日々が続く。
 氷解の兆しが表れたのは、開設から半年後、島内初の入所者を受け入れてからだった。「島中みんなが親戚みたいな土地だから、その方たちが面会に来てくれたことがきっかけとなり、誤解が解けていきました。島の人々は慎重なぶん、一度理解してくれると、ずっと応援してくれるんです」。現在、訪問介護事業所としての介護報酬と、柴田さんの著書印税と全国で行う講演会の講演料が『なごみの里』の収入のすべてで、食料などの多くは、全国の支援者や地元の人たちからの寄付でまかなわれている。その支援者の輪も、著書を出版するたび、講演会を行うたびに、どんどん広がっていく。『なごみの里』で働くスタッフも同様で、柴田さんの思いに心を打たれた県内外からの職員とボランティアスタッフが集い、これまでに5名のお年寄りがこの場所で安らかな死を迎えた。
職員を子ども、ボランティアスタッフを親戚と呼ぶ柴田さん(右端)。みんなのエネルギーの源は“絆と笑顔”。
 今年8月、松江市矢田町の自治会からの支援を受け、いよいよ2番目の『なごみの里』が始動した。「本土にも作って欲しいという声がずっと寄せられていて、以前から場所を探していたんですが、熱烈な歓迎を受けて、ようやくこぎ着けたところです」と声を弾ませる柴田さん。いずれは全国に『なごみの里』同様の施設の開設を目標に持つが、「まず高齢化の進む島根県に『なごみの里』をもっと理解してもらい、高齢者が多い場所が一番住みやすい場所なんだということをアピールしたい」と語る。
 幸せを私たちにさずけてくださる人たちだからと、高齢者を“幸齢者”と表現する柴田さん。“幸齢者県”である島根という苗床で、柴田さんと『なごみの里』が育む“本来の介護のあり方”という芽が、今すくすくと成長している。
BeanS topバックナンバーVol.21 》しまねの風