神奈川県横浜市→隠岐郡知夫村にIターン
 かとう  ふたし
加藤 二士さん(31歳)
 
    personal data
〈出身地〉神奈川県横浜市<仕事>イワガキの養殖と販売業。インターネットショップ『岩牡蠣屋』(http://www.iwagaki.com/)。 一般はもとより、質の高さで、プロ料理人からも注目を集める。4〜6月の期間限定販売と、旬の美味しさにこだわる。
 
       
最も美味しくいただける季節は春。これからが出荷に忙しい日々が続く

 隠岐最南端に位置する、人口800余人の小さな島、知夫里島(知夫村)。この知夫村を養殖イワガキの一大産地にと頑張っているのが、Iターン歴14年になる加藤二士さん。かつては、外国航路の貨物船航海士として従事。しかし、徐々に広がりつつあった不況の影響で、心境に変化が生じ、それまで時折思い描いていた、「田舎で暮らしたい」という、第二の人生を模索し始める。
 知夫村との出会いは、航海士を辞した後の、船積みの荷役監督時代。奥さんの見つけた、新聞記事がきっかけ。「知夫村の定住者募集記事でした。ユニークだったのは、子どものいる家族限定という条件や、定住が決まった際には、500万円相当の漁船をプレゼントするという特典でした」。当時、前項の条件はクリアしていた。「こりゃあ、やる気があれば、何とかやっていけるのでは?」と行動に移した加藤さん一家は、応募者200超という、狭き門を突破して、平成4年、知夫村の住民となる。
 移住後、念願の漁船も手に入れ、島の伝統的なかなぎ漁を始め、さまざまなチャレンジを試みるが、思ったほどの成果は上がらない。最初の数年は、収入を得るため、試行錯誤の毎日が続く。しかし、すでに島の環境や人々との繋がりに、すっかり魅了されていた加藤さんにとって、この島で暮らしていくという気持ちは、揺るぎないも のになっていた。そして、移住から4年、イワガキの養殖、販売業『岩牡蠣屋』起業にたどり着く。このイワガキ、人工的なものをいっさい使わない、天然に近いもので、出荷までに3年を要する。当時、養殖に成功した例もほとんどなく、大変な努力を強いられたぶん大きな注目も浴びた。今でこそ、インターネットを媒体に、全国にその名が浸透したが、これからは、ブランドとして盤石なものに仕上げていく目標がある。「新たな担い手づくりが必要。若い人たちと一緒に、最高のイワガキを育てていきたい」。加藤さんの思いは、島全体の願いと重なり、地域活性の原動力になっている。


※写真右上・・・知夫里島の美しい自然があってこそ、美味しい岩牡蠣を育てることができる

※写真左下・・・加藤さん所有の養殖場にて。冬場の作業は寒さとの戦いである
<UTターンまでの流れ>
(昭和60年)水産高校を卒業後、海運会社で航海士として勤務。1年のほとんどを海外で過ごす日々。
(平成2年)航海士人生に終止符を打ち、岡山で船積みの荷役監督として働き始めるが、数年後、結婚間もない奥さんから、知夫村定住者募集のことを知らされ、田舎生活を真剣に考え始める。。
(平成4年)知夫村に一家で定住。定住の条件として、村から漁船をプレゼントされ、まずは、箱メガネを使った伝統的なかなぎ漁から着手するも、腕は上達するが、漁獲が上がらないジレンマに陥る。ここから数年、漁師としてさまざまな挑戦が繰り広げられる。
(平成8年)島根県水産試験場などの支援を受け、イワガキの養殖に着手。養殖技術から販路確保まで、大変な苦労を重ねるが、『岩牡蠣屋』として、業務を軌道に乗せることに成功。これらの努力が評価され、平成13年、Iターン者としては稀な、漁協組合長に就任し、手腕をふるう。現在は、『岩牡蠣屋』に専念し、若手の育成に力を注ぐ意向。
>>アドバイス
土地の人たちと仲良くやっていくこと。その土地の一員になるという気持ちを忘れないこと。パートナーがいる場合は、必ず一緒に来ること!
>>不安と解決のためにしたこと
●不安だったこと ●解決のきっかけ
移住に関しては、とくに不安はなかったが、収入に対する不安は大きかった。 住む土地の状況など、現実を把握していく力をしっかりとキープした。


BeanS topバックナンバーVol.19 》島根で暮らすUIターンの先輩たち