東京都→雲南市掛合町にIターン
 はせがわ じゅん
長谷川 純さん(35歳)
 
    personal data
〈出身地〉神奈川県相模原市<仕事>学生時代より、プロの作詞、作曲家、ジャズ&スタジオボーカリストとして活動。平成14年、NPO地球緑化センターの「緑のふるさと協力隊」への参加を機に、掛合町に定住。以来、音楽の拠点も掛合に移し、活発な創作表現活動を続けている。
 
       
掛合町の山々が見渡せる自宅の2階。
長谷川さんの大好きな景色でもある

 東京から掛合町にIターンしてきた、長谷川純さんは、現役のプロミュージシャン。現在は、拠点を掛合町に移し、東京時代とは正反対の、田舎暮らしのリズムから生み出される、マイペースな創作表現活動を続けている。
 彼女が掛合町と出会ったのは新聞の小さな広告。「”緑のふるさと協力隊“募集という、過疎地を中心にした受入地で、その土地の産業を手伝いながら、1年間生活するというものでした」。ちょうどその頃、自主レーベルでのアルバム制作という、大仕事を終えたばかりだった彼女。「次の音楽活動への自己研鑽とするため」に、参加を決意する。数ある受入地の中から、掛合町を選んだ理由は漠然としたものだったが、実際の暮らしの中で自分の選択肢に間違いがなかったことを強く実感する。「ここには、お仕着せの産業体験というものがなく、とにかく、やりたいことを何でもやらせてくれる間口の広さがありました」と長谷川さん。自己の幅を広げる為に来たのだからと、林業、農業、産直市での販売など、それまでの人生で経験できなかったことをどん欲にこなしていく。地域の人々も、そんな前向きパワー全開の彼女の影響から、つられて精気を取り戻す。高齢化が進み、徐々に活気を失いつつあった掛合町にとって、彼女は救世主的存在になったのだ。
 その後、1年間の東京との往復生活を経て、掛合町への定住を決め、現在、活動拠点となっている『自由空間 来人家(フリースペースライトハウス)』で、新しい音楽生活をスタートさせた。古い民家を改装して作られた来人家は、長谷川さんの創作活動の他、彼女や、彼女と親交のある音楽家たちのコンサートなど、文化的な各種交流が精力的におこなわれ、町の新スポットにもなっている。「ここは、人との距離が近いので、音楽家としての原点に戻れるんです」と長谷川さん。さらに、彼女を塾長とする地域活性化プログラム「ふるさと創生塾」主催の野外コンサートなど、パーソナリティを最大限に生かした活動で地域に貢献し続けている。


※写真右上・・・プロミュージシャンの生演奏を気軽に聞ける近所の方々が羨ましい

※写真左下・・・ライブの際は地元の人はもとより、遠方からもファンが駆けつける
<UTターンまでの流れ>
(昭和60年)中学生の頃よりバンド活動を開始。高校生の頃よりスタジオワークを中心に、プロとしての音楽活動をスタートする。
(平成3年)大学時代から、本格的にジャズシンガーとしての活動を開始。同時に、作詞作曲活動も始める。
(平成14年)自主レーベルを立ち上げ、アルバムをリリース。ちょうどその頃、「緑のふるさと協力隊」の存在を知り、次ステップへの自己研鑽を目的に掛合町へやって来る。
(平成15年)「緑のふるさと協力隊」への参加により、暮らしに対する心境の変化の兆しが訪れる。1年間の東京〜掛合町往復生活の後、掛合町の文化人招聘事業制度のバックアップもあり、定住を決意する。
(平成16年)「自由空間 来人家」を表現の場に、地域はもとより、各方面との文化交流を始め、「ふるさと創生塾」などの活動も場を広げ、現在に至る。
>>アドバイス
いきなり実行せずに、お試し期間を設けて、その土地に馴染めるか冷静に判断するべき。実行に移した後も、謙虚な気持ちを大切に、地域の人とのネットワークを作っていくこと。
>>不安と解決のためにしたこと
●不安だったこと ●解決のきっかけ
定住を決めた最初の頃は、生活(収入的な)の不安が少なからずあった。
生涯のパートナーに巡り会えたこともあるが、周りの人々の温かいバックアップが、不安な心を支えてくれた。


BeanS topバックナンバーVol.19 》島根で暮らすUIターンの先輩たち