鏡谷タクシー
 
株式会社藤井基礎設計事務所
●創業/昭和6年 ●従業員数/5名
●住所/島根県隠岐郡西ノ島町別府
TEL.08514-7-8321 FAX.08514-7-8322
[会社概要]○タクシー業務(車両数/小型車1台、中型車2台、ジャンボ車1台、
福祉車両〔ふれあい号〕1台)○町民生活救援事業

西ノ島町・町史にその名が刻まれている 隠岐島初の歴史を持つタクシー会社
コバルトブルーの海岸線に映える鮮やかな黄色の車体。ボディーには、隠岐西ノ島町のシンボル・イカのほほえましいイラストが描かれている。別府港を基点に、島前全体を走る鏡谷タクシーは、観光客は元より、島内で暮らす人たちにとって古くから親しまれている存在だ。
昭和6年6月、配流された後醍醐天皇が脱出するまでの1年間を過ごしたという「黒木御所」前広場に、1台の米国製・シボレー1930年型自動車がさっそうと姿を現した。それまでは牛が荷を積んで歩くだけの島内の道路に、初めて乗合自動車が開通した瞬間である。
別府〜浦郷間を往復するこの乗合自動車の創設者の一人が、当時の鏡谷バスの創設者・鏡谷末次郎氏だ。自動車そのものが未知の存在だったため、最初はとまどいを見せていた島民にも次第に理解され、燃料に木炭を用いながら戦中・戦後を駆け抜けた「鏡谷バス」は、陸上交通を支える“島民の足”として、欠くことのできないものになった。また、戦後の西ノ島町に初めてタクシーが誕生したのは昭和29年。その時の仕掛け人も鏡谷末次郎氏だった。初代の車は、以前の乗合自動車と同様米国製のフォード39年型。もちろん隠岐島はおろか、日本全体でも自動車が普及するとは思えなかったころのことだ。
鏡谷タクシーが運行し始めた当時、1歳の赤ん坊だった鏡谷元社長は語る。「戦後の復興を経て、これからは日本にも車社会がやってくることを、祖父は予見していたんだと思います。初代のフォード車は抜群の馬力を誇っても燃費が悪く、とても採算が合わなかったと、後年聞かされました」。
それまで運行していた「鏡谷バス」は、昭和32年に他のバス会社に路線の権利を譲渡して、その歴史の幕を閉じた。以来、2代目社長實(みのる)氏、3代目の元氏によって、“島内の陸上交通に貢献する”という経営理念は、「鏡谷タクシー」の運行に受け継がれている。

自然豊かな西ノ島町から 人のふれあいと“心のおみやげ”を発信
「毎年3〜11月までの観光シーズンは、鏡谷タクシーにとっての繁忙期だ。「島に対する想いを伝えたいので、マニュアル通りの観光ガイドはしません。お客様との出会いの一つ一つを大切にして、訪れた人が心の中にもおみやげを持って帰ってくれるように願っています」と、社長自身も先陣をきって乗務し、時にはガイド役を務める。
観光客のニーズに細かく対応するため、平成11年からは車椅子の昇降が可能な福祉タクシー・〔ふれあい号〕を導入するなど、ハードの充実にも努めてきた。
しかし、鏡谷タクシーが目指しているのは、観光業の振興だけではない。ふれあい号を導入した同年、島民のための生活救援事業への取り組みも始めている。名付けて『タクシーの便利屋』という新サービスは、島内の高齢者や身体が不自由な人たちを対象に、乗務員が病院に薬を取りに行ったり買物などを代行する事業だ。島内には、一人暮らしのお年寄りや用事があっても気軽に外出できない人たちがいる。その人たちの手助けも大切な業務だと、鏡谷社長は語る。
「自然と人が共生する社会は、だんだんと根付いてきました。しかし、これからは豊かな自然の中で、人として生きる原点をみつめながら“人と人が共生する社会”を育てる時代だと思います」。タクシー業務を通して、西ノ島町から人にやさしい町づくりを発信しようとする鏡谷タクシーは、人や物だけでなく、温かい心を運んでいる。

[鏡谷 元(かがみだに はじめ)代表者(50歳)
昭和28年1月1日島根県隠岐郡西ノ島町生まれ。県立隠岐水産高校卒業後、大手水産会社へ就職し遠洋漁業などに従事する。平成元年にふるさと西ノ島町へUターンし、鏡谷タクシーへ入社。平成13年、父親の後を継ぎ、3代目社長に就任する。趣味は写真撮影。隠岐島を代表する景勝地・国賀海岸の雄大な景色をフィルムに納めるのは、かつて400年以上の歴史を持ち、昭和25年頃まで盛んだった国賀海岸での『牧畑(まきはた)農業』の復活を願って。麦・大豆などの作物と牛馬放牧を輪転する牧畑農業は、地域独自の文化的遺産だと自負している。二女の父親。

案内所を飾る絵画や写真は
乗務員による力作
島前3島を結ぶ定期航路の玄関口・別府港。フェリ―の発着場に位置する別府交通センター内に、「鏡谷タクシー」の案内所がある。別府港を訪れる人たちを温かく迎えるのは、案内所入口や内部に飾られた絵画や写真。いずれも西ノ島町の代表的な風景が描かれている。国賀海岸のスカイラインを豪快なタッチで描いた作者は、乗務員の一人、真田幹夫さん。7年前、子供たちの独立を機に生まれ育った西ノ島町へ夫婦でUターン。「鏡谷タクシー」に勤務しながら、冬場に少しずつ描き続けたという。「絵でも描いてみようかな?という心境になれるのは、やはり西ノ島町だから。贅沢を求めなければ、ゆとりを持ちながら暮らせる場所です」と、日焼けした笑顔をほころばせる。
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