- ふるさと歳時記 旅立ちの島 -
港を出ていくフェリーを、追いかけていく一隻の漁船。春の海は温かな日差しを浴びて、キラキラと水面を輝かせている。防波堤を過ぎ外海に出た漁船は、荒くなってくる波に大きく船体を踊らせているが追走を止めない。船の舳先には何人かの若者が振り落とされないように両足を踏ん張り、両手をメガホンのように口に当て何かを叫んでいる。
身を反り返して声を張り上げている。
ちぎれんばかりに手を振っている。
風の音や機関の音で漁船からの声は届かないはずなのだが、フェリーのデッキに身を乗り出している若者たちは、声を振り絞ってそれに応えている。「必ず帰ってくるからなぁー」と。
3月上旬、諸島中最大の島「島後」にある県立隠岐水産高校の卒業式の日。この島の玄関口である西郷港に隠岐水の生徒、教師、父兄などが集まって、この日実家に戻る寮生4人を送り出そうとしている。
島後以外から入学した生徒が3年間を過ごす碧水寮。卒業する寮生全員が、「初めての寮生活は全てが不安でした」と入寮したときを振り返る。その若鳥たちも3年間の寮生活の中で、掃除や洗濯を全て自分たちでこなし、「何度も辞めたいと思った」気持ちを乗り越えてこの日を迎えた。そして今、「身の回りのことを自分でやってみて、親の有り難みがよく分かった」と言うまでに身も心も成長し、旅立とうとしているのだ。
出港15分前、港のターミナルビル3階のベランダに集まった50人余りの生徒たちが、「ウォリャーッ」という掛け声とともに大声で寮歌を歌い始める。ターミナルビルとフェリーをつなぐ5色の紙テープを握りしめた4人は、照れくさそうにうつむく。
風になびく数えきれないほどの紙テープには、それぞれの思い出が込められているに違いない。先生には分からない寮生だけのルール、こっぴどく叱られた先生に重なった父親の横顔、ハワイへの乗船実習で苦しめられた船酔い、地元の老人会で楽しく習ったしげさ節やキンニャモニャ、知らない間に好きになっていた隠岐の島…。
ヴォーと1回汽笛が鳴る。一瞬の静寂の後、何かを振り切るように歌声が大きくなった。固く目を閉じてもなおあふれ出す涙、泣き顔をごまかそうと顔を真っ赤にして張り上げる声。岸壁からフェリーが少しずつ離れていくと、一本、また一本と紙テープがちぎれ飛んでいき、言葉にならない叫びが何度も往復する。見送る者の顔から必死に目を反らし、あらぬ所を見つめながら何かに耐えている4人。
フェリーの後方から来た2艇のカッターも4人を見送る。1年生の夏休みに5日間の厳しい訓練を行ったカッターだ。真っ白な制服と制帽を身につけた後輩がやがて、空に向かって垂直にオールを高々と指し示す。大空に向かって羽ばたけとでもいうように。
フェリーを追い続けてきた漁船が、さようならの代わりに大きな弧を描いて港に帰っていくと、ふと誰かが「本当は向こう側でみんなと一緒に歌いたかったよな」と呟いた。潮風に吹かれながら誰も船室に入ろうとしない4人が、ぼんやりと海面から視線をあげると、少しずつ遠ざかる隠岐の島が笑顔で見送ってくれている。
あまりにもハッキリとした別れのシーンは、悲しみが薄れても心に残る。海と船が演出するこの鮮明な記憶は、希望を胸に旅立つ者への島からの餞別なのかもしれない。

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旅立ちの風景
棒を通した紙テープの元は見送る側が持つ。少しでもたくさんの想いを伝えようとして、束ねたテープをロープでフェリーに渡すのだが、悲しみをまぎらわそうとして賑やかに準備は進むのだ。

忘れられない思い出
1日3度の食事を美味しくすることはもちろん、元気がないと「どうしたの?」と声をかけてくれた食堂のおばちゃんは、寮生を我が子のように思って接してくれた。島でくらし続ける在校生の食事を用意しながら、ひとまわりたくましくなった卒業生たちの背中を見送るおばちゃんのやさしいまなざしがあった。

隠岐の風物詩 蓮華会舞
それぞれの港に舞う五色の紙テープ同様に、華やかな踊りで春本番を人々に知らせるのが「蓮華会舞」。毎年、弘法大師を法要する4月21日の午後、西郷町の国分寺で行われる古典芸能だ。平安時代に隠岐に伝わったこの素朴な舞は、ゆったりとした手足の動き、衣装、面などにインドや中国の大陸文化の影響が見られ、さながら天平文化の華やかさを再現してみせる。蓮華会舞とは、かつて蓮華草の花が満開のころに行われた法会に由来するといわれるが、ちょうどそのころは隠岐の島々に咲く桜が散り始める季節。地域の人々が受け継いできた7曲の中にはユーモラスな舞もあり、舞い散る桜の花びらとともに温かな笑い声が境内に響き渡って、隠岐の島は春本番となる。

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