- ふるさと歳時記 神楽の里 -
降り落ちてくるように星々がきらめく11月下旬の夜。子供たちが母親の手を引き、「御神酒」を抱えた男性は肩をすくめながら白い息を吐いて登る石段。竹竿にぶら下がった裸電球がその足下を照らしている。
浜田市から中国山地に車で約30分。山あいの那賀郡金城町上来原地区で、八幡宮の新嘗祭が始まろうしている。古くから伝わるこの祭りは、その年の豊作を感謝し一夜をかけて神楽を奉納する。その神楽を見ようと近隣からも多くの人が出かけて来るのだ。
金城町だけでも11の社中が存在するほど、石見神楽と呼ばれる神楽が盛んな浜田地方。しかし、昔ながらに夜通しで神楽を奉納する祭りは、この地区以外にはなくなってしまった。
午後10時30分。多くの人が詰めかけた拝殿の火鉢からはパチパチと火の粉が弾けている。と、ドドンドンドンという、腹に響く威勢のいい太鼓の音で祭りが始まった。
石見神楽33演目の内、この日の奉納は12演目。小気味のいい独特の8ビートの豪快な舞と達者な口上に、観客は誰一人として眠らない。
午前零時を過ぎても訪れる人は絶えない。茶パツの青年や若いカップルに「久し振りじゃ、こっち来て飲みんさい」と、声がかかり、コップ酒の車座が話と笑いで盛り上がる。毛布を握りしめ目をキラキラさせて舞を見つめる小学生の女の子、孫を抱いてお嫁さんと話す真っ赤な顔の男性。弾んだ声が拝殿に飛び交う。
舞台から降りた猿の役が客の髪をかき回し、狐役は客席から子供を舞台に連れ去ってしまう。上出来の舞に「ええぞー」と声がかかり、踊り疲れた鬼が舞台で「はぁ、わしゃぁ疲れたけぇ」と愚痴って客を沸かす。「わしらは他の社中のように、どこぞのホールやら大きなステージにはよう出まあ(出ない)」。舞台と客席が一体となった会場で、上演前に聞いた社中の一人の言葉を思い出していた。
最後の演目でヤマタノオロチが首を落とされたときには午前7時を回り、朝日が山々の稜線を際だたせている。「おじさん寒いねぇ」、携帯の着信を確認しながら17才くらいの女の子が石段を下りていった。
その帰り、車で約15分のところに湧く美又温泉に寄る。温泉地の中を流れる川から上る湯気が、立ちこめる朝霧に向かって一緒になろうとしている。美人の湯として知られる湯に浸かり「ようきんさったねぇ」という言葉を反芻すると、いつも心の芯まで温かくなる。山あいの温泉には冬がよく似合う。この地方は、有福温泉や旭温泉で知られている名湯の地だ。
神楽と湯煙。知らない間に積み重ねられた記憶は時として懐かしさを呼び起こす。広島からUターンした社中のメンバーもこう言っていた。「広島でも太鼓の音が聞こえるとそわそわしてたんです。だから、帰って神楽音を聞いたら一にも二にもなくメンバーに加わりました。体が覚えているんですよね、あのリズムと暖かみを」。

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石見神楽の夜
火鉢の上で沸かす燗酒は、冬の夜と陽気な会話に欠かせない代物。飲み、話しながら太鼓に合わせて体を揺らし両の指でリズムをとったり、「ありゃあ、はあ、去年より舞がうまあなったのお」と批評したり、観客もなかなかに忙しい。

美又温泉
美又の湯は肌にしっとりと絡む少しヌルッとした感触で、湯上がりには全身がツルツルになる。公共浴場「美又温泉会館」には仕事帰りの地元の人が集まり、小さな温泉街の夕暮れは、湯煙と活気のある石見弁で満たされるのだ。

浜田の風物詩 テナシイカ
雪こそ多くないが、冬の日本海からの風はやはり厳しい。しかし、厳しい冬だからこそ活気に溢れるのが浜田港。暮れからのシーズンに水揚げされるアンコウとテナシイカ(ヤリイカ)は、冬の浜田では忘れてはならない味の一つだ。アンコウの美味しさは誰もが知っているところだが、この時期だけ獲れるテナシイカは浜田の冬の味。島根でも主に浜田港にだけ水揚げされるこのイカは、その名の通り足が貧弱で触手が無い独特の種類。なんといっても新鮮なうちに刺身にするのが一番おいしく、弾力のある歯ごたえと甘さは、この時期だけの絶妙な味。正月の浜田の食卓には欠かせない食材で、この味が冬の記憶となっている人は多い。

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